1話目→『ごちうさSS ここあ「リゼちゃんの狂気日記」追憶ノ一(閲覧注意) 』
――
――――
――――――
……………………
………………
…………
……
……りぜちゃん。
……ん?
……好き。
……わたしもだ。
……ほんと?
……ああ。
あのね……なら、どうして。
――ひっかいたり、たたいたりするの?
…………………………
……好きで、大切で、どうしようもないから。
――だから、憎い。
……憎くて、憎くて、どうしようもない。
……大好きだから。
好きだから。
……そっか。
……ここあは、ピンクが好きだよな?
うん。
ハートを、ピンク色で塗ると……全部塗り終えると。
――もう、それ以上塗ることが出来ないんだ。
その上から、違う色を塗るしかなくなる。
ピンクよりも薄い色は、色付かない。濃い色も、混ざってしまう。
――でもな。
黒色だけは、塗ることが出来るんだ。
何にも染まらずに、何よりも強く。
黒色は、決して塗りつぶされることは無い。
確かな愛情を――証明できる。
――
――――
――――――
―――――――――――――――――――――――――
『〇』
――病院――
「愛情の裏返し、ですか?」
エメラルドグリーンの瞳が、バツの悪そうな神経科の医師を見据える。
空調機から出る微かな風が、彼女の美しく煌びやかなロングヘアをたなびかせた。
己の持ちうる全知を使い、なんとか辿り着いた結論は、そんな締まりのないありきたりな答え。
狂気を知らぬ一介の人間である医師には、それ以上の何かに辿り着くことはかなわなかった。
「……そうですか」
彼女もまた、言葉を詰まらせた。
人一倍相手の気持ちを察することが出来る黒髪の少女は、議題の対象である友人の行動原理が理解できないわけではなかった。
少なくとも、狂気に染まった人間を一度目の当たりにした少女は、無垢な正気しか知らぬ医師などよりもずっと深く心の深淵を覗くことができる。
そう……『愛情』の裏返しだったのだろう。
確固たる、絶対的な繋がりを求めての。
あまりに愛する故に、矛盾する。
創造が、破壊からしか生まれぬように。
技術の革新的な進歩が、常に『争い』と共に飛躍してきたように。
――憎しみが、愛情と等しく、『相手を想う』ことであるように。
「……………………」
体裁上『特別室』と銘打たれた、無機質な一室に隔離された友人を思い、慈しむ。
どうして、もっと寄り添ってあげられなかったのだろう。
踏み込むにはあまりに遅すぎた。知りえた時には、何もかもが手遅れだった。
きっと彼女は、如何ともしがたい苦悩を一人で抱え、誰にも理解を得られないまま。
帰る居場所を失くした迷い子のように……狂気と正常、自尊心と自己嫌悪の狭間を延々と彷徨っていたに違いない。
そんな中、唯一自分を受け入れてくれる存在が。
――救済の天使が、舞い降り、包み、寄り添ってくれた。
彼女の少女への病的依存は、むしろ必然だったのかもしれない。
誰だって、独りは怖い。
どんな人だって、誰かに必要とされたい。愛されたい。
自己の証明を、どこかで欲している。
ただ一つの掛け違えは。
愛するその子があろうことか苦しみの元凶であり、愛すべき存在でありながらも最も忌むべき存在であったこと。
同一でありながらも背反する二つの感情が、彼女を更なる袋小路への奈落へと追いやってしまったのだろう。
「……リゼちゃん」
今なら分かる。
『書経』に記された立派な言葉など、人がいかに無垢で無知なのかを証拠立てる稚拙な証明に他なら無かったのだと。
万物の霊長……万物の中で最もすぐれているもの、すなわち人間。
――人間。
一体誰がそんな戯言を裏付けもなくしたためたのであろうか。
必然にもがき苦しんでいた彼女に、ただ狂気というレッテルを貼って、理解することはおろか手を差しのべようともしなかったのに。
人が勝手に作り上げた、都合の良い最低限の『社会ルール』。
人はその枠組みを逸脱した者には、『犯罪者』や『狂人』などという蔑称を用い、ただ蔑ろにする。
自尊心を満たすため。己自身を、『枠組みを逸脱した人間』よりはまともで優れた者であると思い込むため。
さもそれが、『枠組みを逸脱した人間』にふさわしい呼称であるかのように。何の疑いもなく厚顔無恥に。
だが、それも詮無きことなのだ。
なぜなら。
『現実に行動』さえ起こさなければ、人はいかなる価値観や癖を持っていたとしても『まともで正常である』という証を得られるから。
そう……たとえカニ〇リズムでも、嗜虐でも、シカンでも、サ〇ジン癖でも。
妄想や空想……フィクションの世界であれば……現実で無ければ、全ては許される。
空想は、自己が正常な人間であるという自尊心を満たすために、一役も二役もかっているのだろう。
人は、自分がまともで正常あるという証を得ねば。
社会の枠組みを外れた者や弱者を利用せねば、存在できない寂しい生き物なのだろう。
「………………」
上辺だけで塗り固められた世の中の成り立ちを知ってしまった少女には、もう友人を責めることなど到底不可能だった。
少女は、知ってしまったのだ。
線引きの全ては、自尊心を満たすものとそれに利用されるものに他ならないと。
誰も、人を蔑む権利はない。レッテルを貼る権利すらもない。
まともな人間など、この世にいない。正常などこの世に無いと。
いじめ――嗜虐心。
犯罪者――妄想者。
優しさ――自己満足。
考察――自己完結。
思いやり――自己愛。
自傷――自己実現。
哀れみ――自尊。
寛容――自己正当化。
正常――狂気。
全ては、等価だった。
体の良い、隠れ蓑。
もしかしたら彼女は、気付いて向き合ったのかもしれない。その矛盾に。
そして、穢れて傷ついて、最後は翼をもがれた。
……不幸中の幸いは、また笑いあえる日が来ると。
いつか元に戻れる日が来ると、確信に近い希望を持てることか。
「……ふふっ」
リゼちゃん……もしかしたらもう、わたしも変になってるのかもしれない。
黒の診断書を出されたリゼちゃんの気持ちがこんなにも分かるって、おかしいかしら。
それとも、的外れ?
……会えたら、聞いてみましょうか。
お互い、真理を知ってしまった者同士。
また、笑いあいましょう。笑えると、いいな。
「……リゼちゃん」
きっと、わたしたちなんかでは計り知れないほどに。
人知では、言葉や行動では証明できないほどに。
――壊したいほどに、大切だったのね。
ここあちゃんの身体にあった無数の傷跡が、痣が。
リゼちゃんの愛情の深さを、皮肉にも表してた……。
………………。
…………。
……。
―――――――――――――――――――
『●』
リゼ「……っ!」グググ!
ここあ「いだっ!ぁぁ゛……っ!」
リゼ「ここあ……っ」ガシッ
ここあ「ぃや……痛いよぉ……!」ポロポロ
リゼ「…………」
ここあ「ぇぐ……りぜちゃん……グスッ、どうして……?」ポロポロ
リゼ「……っ」ジワッ
リゼ「…………」ポロポロ
ここあ「りぜちゃん……?」グスッ
―――――――――――――――――――――――
リゼ「……………………」ギュッ
ここあ「りぜちゃん……もうあさだよ?ごはんたべて、がっこういかなきゃ……」
リゼ「…………」フルフル
ここあ「……りぜちゃん」
リゼ「……いやだ、お前と離れたくない」
ここあ「…………」
リゼ「どこかに行くかもしれない……いなくなるかもしれない……」
ここあ「いなくならないよ……?どこにもいかないってやくそくするから……りぜちゃんのこと、おうちでまってるから」
ここあ「だから……ねっ?」
リゼ「…………」グスッ
ここあ「いっしょにごはんたべて、よういして、『げんかん』までいこう?」
リゼ「……」コクリ
ここあ「よしよし……」ギュッ
リゼ「ここあ……っ」
リゼ「帰ったら、また抱きしめてもいいか……?」
ここあ「うん、たくさんぎゅってしようね」
リゼ「………………」ギュッ
ここあ「りぜちゃん……」ナデナデ
――――――――――――――――――――――――
………………。
…………。
……。
ここあ……。
……わたしの天使。
――存在証明。
天使は――決して穢れない。
不純とは違う――純粋で、崇高な存在。
純粋は――矛盾を持たない。
持たないが故に――遠くにある。
そばには――いてくれない。
……………………。
………………。
だから、依存は。
常に、一方的で。
天使は……ここあは、わたしを慈悲深く包んでいるに過ぎない。
天使の慈悲は……特別な愛情ではない。
その愛情は――全ての人間に、平等に注がれる。
――いやだ。
いやだ、いやだ、いやだ。
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ。
…………。
……。
証明。
特別である――証明。
特別な――愛情。
証明する――術は。
あの子を――天使を、不純にするしかない。
不純は――人間。わたしと、同一。
不純にする――術は。
歪んだ愛憎の、いずれかでしかない。
暴力、罵声、凌辱――嗜虐。
……おかしいな。
幸せなのに。
苦しい。
辛い。
悲しい。
………………。
―――――――――――――――――――――――
美しいものを汚したい、というサディズム。
いじめたいという、嗜虐心。
それは無価値な自分自身に、価値を見出す術なのかもしれない。
誰だって、かわいそうな子が好きだ。
極めて安全な立場から……辱め、苦しめ、凌辱する。
人間の本能は、極めて醜く、そして汚い。
そう……自分よりも弱いものが、好きでたまらないのだ。
イニシアチブを取りたいのは――何もない自分を、取り繕うがため。
だから時に――手を差しのべる。
か弱いものに――快感を、興奮を、覚える。
不幸は、蜜の味ではない。
不幸は――人を、人であらざる者に変える。
――魔。
リゼ「ここあは、わたしに嫌われてもいいんだな?」
極めて冷徹を装い、そんな言葉を投げかける。
脊髄反射の如く、ここあは懇願するかのようにかぶりを振った。その様は、強迫観念によって動くパラノイアを連想させる。
ここあ「いや……!いやだよ……!」
縋りついてきたここあの双肩は震え、既に涙腺は決壊していた。
離れ行く不確かなものを引き寄せるかのように、わたしの身体を固く抱きしめ、決して離そうとしない。
こちらを見上げ、わたしの虚言に畏怖し怯えるここあ……その姿に、天使の面影はない。
姿形のない絶対的な存在を崇め奉り、根拠のない神や悪魔を疑いもなく信仰する、『人間』特有の観念。それに似た脆弱さを露呈させる。
ここあが人間であることを、わたしが確信できる唯一の手段。
ここあからの愛情を……愛情が一方的でないことを確かめられる、唯一無二の方法。
わたしからの愛情に縋るここあと、縋られるわたし。
依存するここあと、依存されるわたし。
縋る天使と――縋られる人間。
懇願スル天使ト――蹂躙スル人間。
快感だ……。
ここあが、わたしに縋っている。
わたしなんかを、必要としてくれている。
わたしからの愛情の枯渇に、泣き怯えている。
快感だ……。
天使を穢す、優越感。
ここあを、人間に――不純物にする。
自己の存在証明を確立することができる、至福の瞬間。
ここあ「きらいにならないで、りぜちゃん……!」ポロポロ
無言のままここあを抱き上げ、ベッドへと横たえる。その上に、覆いかぶさる。
この子なりの力一杯の抱擁は、ほんのわずかな力によっていとも簡単に引き離せる。
無力で、純真な、わたしの愛しい天使。
華奢な肢体、幼さ故のきめ細やかで柔らかい肌、か細い首筋……ここあの存在を形取る、全てが手中にある。
リゼ「……ここあ」
おもむろに頬を撫でてみる。
ビクリと身体をすくめ、潤んだ瞳がわたしの顔を覗き込んだ。
欲望、衝動、虚栄、嗜虐心……透明な表情の下に隠された真意を覗けなかったのか、すぐさま恐怖を覆い隠すように目を瞑る。
そんな仕草はことさらわたしの理性を侵し、ドス黒い感情を増長させた。
めちゃくちゃに――したい。
優位性を保てる――この立場から。
極めて、冷酷に、この子に、何の慈悲も愛情もなく。
ただ、身体だけを求めて。
ここあ「きゃっ……!」
支配欲、イニシアチブ。
ここあを、傷つける。心も、身体も。
満たされる、ちっぽけな自尊心が。
さも道具を扱うかのように、ここあの髪の毛を掴む。
ここあ「いたっ!ぁぅ……っ……!」ガクガク
わたしに嫌われたくない……ただ、その一心で。
必死に恐怖を押し殺し、自分という尊厳を捨ててまでも抵抗しようとしない。
例えこのまま秘部に手を伸ばそうとも。この子は、わたしを拒まないだろう。
わたしからの覚束ない愛情を、求めるために。
『……違う』
何をしても、許される。
例え凌辱しようとも、暴力を振るおうとも。
気持ちをないがしろにして、身体だけを蹂躙しても。
『――違う』
ここあは天使だから、許してくれる。
どれだけ穢しても、純白のままなんだ。
例え人間だとしても、ここあはわたしのことが好きだから。
相思――相愛だから。
『……違うだろ』
声が……聞こえる。
視界が……ぼやける。
……幻聴?
違う、わたしだ。
――極めて安全な立場から、可哀そうなここあを虐める、紛れもない『わたし』を。
――ここあのことが大好きで、真っ直ぐな愛情を与える、他の誰でもない『わたし』が見つめていた。
傲慢なんだ。
大した人間でもないのに、そんなに尊い子を、自分の物にしようだなんて。
……愛情が一方的でいいのなら。
どうせ一方的でしかないなら……人間は、自分に自信を持てるものなんだ。
傲慢なんだ。
わたしのもの?わたしのここあ?
わたしなんかが側に寄り添わなくても――違う。
寄り添う資格も、寄り添う必要もないんだよ。
わたし如きが。
寄り添って『あげたい』なんて――嘘だ。
本当は……わたしが、そうしたいから。
この子の全てが、欲しいから。
わたしだけのものにしたいから。
わたしがこの子にとって一番でありたいから……。
傲慢なんだ。
自己満足、だろ。
そうやって言葉にして証明しないと、行動で示さないと。
ただの自己満足であることに、気付いてしまうから。
独りよがりの愛情に、固執してることに。
仕方がないんだ。
こうすることでしか、この子はわたしの側にいてくれないから。
わたしのものにできないから。
傲慢なんだ。
無価値な自分を棚に上げて、一方的に愛情を貰おうなんて。
愛したい、なんて。
愛してあげたい、なんて。
愛してほしい、なんて。
愛されたい、なんて。
………………。
傲慢なんだ。
好き、なんて。
嗜虐心、なんて。
この子は、わたしの奴隷じゃない。
興奮を満たす道具じゃない。
一方的に愛情や暴力の代わりに……身体だけが、欲しいんだろ?
…………。
ここあの気持ちなんて、考えていないだろ?
どうでもいいんだろ?
わたしさえよければ、それで。
その暴力は、行為は――愛情の証明ではなく。
――ただの、押しつけだ。
……。
…………。
………………。
――嫌いに、なってくれないから。
………………。
……嫌いに?
――嫌われたくない。
ここあを壊してしまう。
……壊したい。
離れて、くれ。
――依存してほしい。
やめろ。
もう、ヤメテクレ……。
ここあを、いじめないで……泣かせないで……叩くな、求めるな、愛してあげるな、苦しめるな……。
わたしの――大切な、ここあを。
リゼ「うぁああああああぁ!!!!!??」
ここあ「っ!?」ビクッ
相反する、二元された行動原理の先に。メッキで固められた、心の根底に。
無理矢理押さえつけていたものが、溢れ出た。
リゼ「嫌わないでくれっ!!!独りにしないでっ!!ごめんここあ!許して!許してくれっ!」ガッ
ここあ「りぜちゃん……!?りぜちゃん!」
リゼ「ここあぁ、わたしを見捨てないで!うぁぁあ!頼む……たのむ……!」ポロポロ
ここあ「りぜちゃんっ!なかないで!いやぁ……!」ポロポロ
もう、何も分からない。
自分の感情も、気持ちさえも。
何が間違っていて、何が正しいのかさえ。
のしかかるかのように、ただ目前にいる誰よりも愛しく誰よりも憎い相手を抱きしめる。
知覚を振るい、温もりを、香りを貪る。
リゼ「嫌いになってくれ、嫌いにならないで……側にいてくれ、離れてくれ……ここあ、好きだ……傷つけたい……壊したい……愛してる……」ポロポロ
狂った言葉を吐きながら咽び泣くわたしの身体に、小さな慈愛の手がまわされる。
背中を引っ掻くわたしと、撫でるここあ――相手を想う同一の行動は、対照的に。
ここあ「りぜちゃんの、したいようにしていいよ?」グスッ
ここあ「りぜちゃんのこと、ぜったいきらいになったりしないから……」ジワッ
それは、好意……?慈悲……?それとも憐憫……?
情動を覆い隠す、絶対的な天使の言葉。ここあの、言葉。
ここあ「だいすきだから……」ポロポロ
抗えない、抗う術がない、無力で不純な生き物でしかないわたしには、到底。
届かない、触れてはいけない、触れたら、わたしは掻き消される。
白と黒は、交わってはいけない。
――なのに。
ここあ「りぜちゃん……」グスッ
わたしの腕の中には、小刻みに震える脆弱な生き物がいる。
不純な狂人にさえ、その気になれば力づくで穢されてしまうほど、か弱い天使が。
そしてこの子は、間違いなく『ここあ』なのだ。
翼は無い。神秘的な力なんて無い。ただ、分け隔てない愛念を司るだけの、無力な生き物。
それでいて、わたしが畏怖する崇高な存在。
嗜虐とは真逆の、弱いものを守ってあげたい保護欲。
怖いものに触れたいという、人間の欲望的衝動。
そして――崇高なものを穢したい、征服欲。
全ては共存し、矛盾し、わたしの中に存在する。
それはいずれも、ここあに縋り、依存することでしか……満たせない。
リゼ「……っ」ギュッ
どうして、こうなる。
こんなに好きなのに。
こんなに幸せなのに。
こんなに満たされているのに。
どうして、こうなってしまう。
好きだから、不安になって。
幸せだから、不安になって。
満たされているからこそ、不安になって。
リゼ「ここあ……っ」ポロポロ
………………。
…………。
……。
―――――――――――――――――――――――――
『〇』
――ラビットハウス――
「……ここあさんは?」
「んっ……部屋で寝ているよ」
問いかけに、男は淡々とした口調でそう答えた。
少女が思いやり慈しむ相手は、とある出来事から解放され、ゆうに20時間を超えてもなお深い眠りについている。
「ここあくんも限界だったんだろう……」
男は少女の不安を察したように、向かい側のダイニングチェアへと静かに腰を掛けた。
内気で謙虚な少女も、肉親である男……父親には、ある程度の心内を話すことが出来る。
LEDに照らされ、少女のライトブルーの髪がひと際美しい輝きを放っていた。
静まらない胸の内を秘めた少女の曇った表情とは裏腹に、神々しい印象を受ける。
「………………」
水を打ったような静寂。
男はただ少女を見つめ、少女は必死に押さえつけていた寂寥が漏れたように、目尻に涙を浮かべた。
無理もない。少女はこの一件で、最も近しく大切な親友二人を一時的とはいえ喪失してしまったのだ。
やりきれない結果に対し、自責の念や悔恨、彼女なりの忸怩たる思いがあるのだろう。
その辺の気持ちは、周りの人間が汲み取ってあげるべきだ。慰めの言葉も罵倒の言葉も不要。
男の為すべきことは、愛する娘が再び笑顔になれるよう、ただ傷心を癒やし、寄り添うだけ。
「……チノ、これだけは、覚えていてほしい」
名前を呼ばれた少女が、おもむろに顔を上げる。
「自身の過ちや過失を、相手のせいにしてしまうのは『自分への甘さ』だ。根拠のない自信を振りかざし、自分を過大評価するのはとても見苦しい。人は謙虚で、どんなことに置いても必ず自分を戒めなければいけない。反省は、大切だ。分かるね?」
返答を待たずして、男は続ける。
「でも……自分を卑下して、何もできない、最低だと思うのも同じく、『自分への甘さ』だ。頑張ろうとしない自分を許し、これでいいと満足してしまう。それは、気づかぬうちに自分に勝手な評価をしていることにままならない。反省や戒めは、都合の良い言い訳を作ることじゃない。……分かるかい?」
「………………」
男は立ち上がると、押し黙る少女の頭に軽く手を乗せ、諭すように撫でる。
「自分に甘くても、卑屈でも、ダメなんだ。……難しいね」
何より厳しく、残酷な言葉であることは分かっていた。
だが、自身の娘であれば必ずやその言葉の真意を理解してくれる。
男には、確信に近い確かな根拠があった。下手な同情よりも、今の彼女にはこれが一番の特効薬だ。
はからずも不幸な人生を歩ませてしまった、優しい自慢の一人娘。この問題も、必ずや乗り越えてくれるに違いない。
「……そろそろ部屋に戻って、ゆっくり寝なさい」
「……お父さん」
踵を返した男の背中に、先ほどまでとは違う、はっきりとした少女の声。
男の口元に自然と微笑みが漏れた。
「ありがとうございます……おやすみなさい」
少女もまた、向き合う。
戒めや自責の先にある、何よりも厳しい――現実に。
――
――――
――――――
――――――――――――――――――――――――――――――
『●』
暗黙の了解……この世の不文律、と言うものはいついかなる時に置いても不条理だ。
しかし、悲しいかな。成文律はもっと不条理なのだ。
わたしは狂人ではない。正常。
この世界ではまだ、はっきりとそう言えるのだろう。
ここあにどれほどの暴力を振るおうとも、一方的に身体を穢そうとも。
明るみに出ぬ限り、わたしは正常。
これが、こんなあいまいな線引きが。この世の正常と狂気を分け隔てている。
故に、わたしを裁こうとするものはいない。責めようとする者もいない。
……なにが、犯罪者だ。そんなものは、ただのレッテルだ。
正常なんてどこにもない、まともな人間なんて、わたしを含め誰もいない。
……だから。
わたしは、わたしが裁く。
言ったはずだ。
わたしの大切なここあを傷つけるものは、誰であろうと許さない。
――わたし自身も。
リゼ「…………」スッ
護身用に携帯している、小さな刃物。
本来の用途に使われたことのない鋭利な刃先が、凶悪なまでにその殺傷力を主張している。
これなら、充分だろう。
刃先を突き立て、二の腕の方に沿わすように這わす。
血液を紙一重で保護している皮膚が裂け、とめどないほどの血流が溢れた。
不思議と痛みは感じない。……いや、違う。
この痛みは、むしろ快感だ。
まるで、親のカタキである対象に幾度となく憎悪を込めて凶器を突き立てるかのように。
最も忌むべき対象を傷つける……その行為のもたらす意味が、痛みが、何よりも心地よい。
憎しみしかないこの身体を傷つけるのに、なんのためらいも迷いもない。
リゼ「わたしのここあを傷つけたのはお前か……」
横に深く切り裂くと、赤い体液が吹き出し、近くにあったわたしの顔と身体を赤く染めた。
リゼ「ふふっ……あはは……!」
こんなものじゃ済まさない。
二度と、ここあを傷つけられないようにしてやる。
リゼ「よくも、わたしのここあを……!」
刃物を持った右腕を高くかざし、思い切り突き立てようとした正にその時だった。
ここあ「りぜちゃんっ!!!!!!!!」
聞き慣れない、空を裂くような叫び声。
わたしの自傷の手が、自然と止んだ。
ここあ「りぜちゃん!しっかりしてっ!!しんじゃだめ!!りぜちゃんっ!!!!!」
半ば狂ったように泣き叫ぶここあの声が、わたしの耳に届く。
ようやくまともな思考を取り戻したのも束の間、裂傷だらけの左腕に鋭い痛みが走る。
辺りを見回すと見慣れた景色はどこにもなく、随所に飛び散った血痕……わたしの身体が、鮮血で赤く血塗られていた。
ここあ「しなないで!!しなないでぇ!!」
ここあが……泣いてる?
リゼ「ここあ……?」
ここあ「りぜちゃん!?りぜちゃん!!」
縋りついてきたここあの服が、肌が、たちまち赤く染まっていく。
闇が、光を侵食するように。純白のここあが、朱に染まる。
リゼ「ここあ……」ナデナデ
ここあ「りぜちゃん……ううっうぇええええん!!!」ポロポロ
……どうして、泣いているんだ?
どうして、ここあが泣くんだ……?
わたしは、お前を虐めたわたしを、切り刻んでいただけなのに。
ここあ……お前は、自分に害を及ぼす存在にまで、慈悲をかけるのか?
ここあ「やめて……もうこんなことしないで……しちゃだめ……!!」ポロポロ
リゼ「ここあ……わたしは、おまえを虐めたんだ。だから……」
ここあ「いじめてない!!りぜちゃんはなにもしてない!してないよ……!」ポロポロ
ここあ「おねがい、もうわたしのたいせつなりぜちゃんをきずつけないで……わたしはどうなってもいいから……!!」ポロポロ
激しくかぶりを振り、わたしを精一杯の力で抱きしめるここあ。
血で濡れた右手から……ここあの大切な、わたしの大嫌いな、わたしを傷つけた刃物が。
……力なく、滑り落ちた。
……………………。
………………。
…………。
……。
天使は……わたし自身を傷つけることすらも許さない。
咽び泣き、慈しむ。
わたしは、ここあを虐めるわたしを傷つけることもできない。
この子は、泣いてしまうんだ。
自分を傷つけられることよりも、ずっと深く悲しんで。
ここあ……。
ここあ、ここあ、ここあ。
ここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあここあ。
リゼ「ここあ……どうしたらいいんだ……」ガクッ
ここあ「りぜちゃん……?」グスッ
抱きしめる、天使を?ここあを?
違う、わたしの命よりも大事な存在を。生きる意味を。
リゼ「ここあ……教えてくれ……」ポロポロ
リゼ「わたしは……生きていていいのか……」ポロポロ
リゼ「お前のことを、好きでいていいのか……」ポロポロ
…………………………。
………………。
…………。
……。
わたしが、わたしを見つめている。
狂ったわたしが、狂ったわたしを。
……もう、どうでもいい。
わたしの存在証明は、ここにある。
ここあ「りぜちゃんは、いきていていいんだよ……だいじょうぶ」ポロポロ
ここあ「わたしのこと、すきでいて……いてくなきゃ、やだ……」ポロポロ
――
――――
――――――
↓
ごちうさSS ヤンデレリゼとここあ 2話:『盲愛』
↓
続編の『追憶の三』へ―ー
感想
ここまで人間の不条理と醜さを表現した作品は珍しいのかもしれません…(私はあまり小説を読むわけでもないので分かりませんが)
この世の人間に善悪など何もなく、それでいて限りなく醜悪に近いことが文章にもよく表れていると思いました。
ただ、ここあちゃんの慈愛は慈愛ではなく、あくまで純粋な本能に過ぎないわけで、リゼの行動のそれはきっと身体だとか心だとかそういったものを超越した何かに至りたくて。
結局思いのすれ違いは続いていくのですよね…お互いの「好き」の意味、きっと同じようで全く違うのかなぁ、と思いました…
あ、それとお久しぶりです!執筆お疲れ様でした(評論家もどきのようですみません)
評論家もどきだなんて、とんでもない。
今まで頂いたご感想の中でも、特にうれしいものです。
ここまで丁寧に考察いただけますと少し照れてしまいますね、しっかりとお読みくださったことが文章から伝わってきます。
執筆者としまして心から感謝いたします、ありがとうございます。
この時点では、リゼちゃんはまだここあちゃんからの愛情を求めつつも善悪や現実をしっかりと把握できています。
故に、醜悪な感情をここあちゃんにぶつける自分自身を責めたり、自傷したりといった行為に及んでおります。
この愛情が常識という枠組みを超えてしまったのが、次回の3話目という構成になっています。
よろしければ、3話目もぜひご覧いただけたらと思います。
最後になりましたが。
『ここまで人間の不条理と醜さを表現した作品は珍しいのかもしれません』
これ以上の誉め言葉はありません、名有りさんありがとうございます。
「人が勝手に作り上げた『社会ルール』。その枠組みを逸脱した者には『犯罪者』『狂人』などという蔑称を用い、ただ蔑ろにする。
ここあにどれほどの暴力を振るおうとも、明るみに出ぬ限り、わたしは正常。」
これは難しい命題ですね。リゼは社会のルールに不満を抱き、ルールの抜け道を使おうとする。誰にも見つからないように。自分の行動が間違っていると理解しているから。
「――ここあのことが大好きで、真っ直ぐな愛情を与える、他の誰でもない『わたし』が見つめていた。」
このときリゼはまだ元に戻るチャンスがありました。心のどこかで自分が叫んでいた。でもリゼはもう一人のリゼに打ち勝つための味方を既に『作ってしまっていた』。言わば洗脳とでも呼べる方法で。自分を受け入れてくれるその存在がリゼを肯定してくれました。
「わたしが、わたしを見つめている。狂ったわたしが、狂ったわたしを。……もう、どうでもいい。
わたしの存在証明は、ここにある。」
暴力に反対していたリゼは、もういない。そこにリゼは一人しかいない。そんな彼女の世界にはリゼとここあしかいない。『狂気』のレッテルを貼る者は(彼女に見えている偽りの)世界にいない。
すべての愛情表現が許される。
……それを理解できた千夜はすごい!
頂いた感想には、しっかりと執筆者としてわたしなりの答えをお返ししたいと思います。
失礼かと思いますがお許しください。
まずはリゼちゃんについてですが。
リゼちゃんは決して、誰にも見つからないようにルールの抜け道を使おうなどとは思っていません。
リゼちゃんが社会のルールに対して皮肉を呟いているのは、全く真逆の感情で、『自身の間違った行動を裁こうともしない社会』に対してです。
最後に自傷行為をしているように、リゼちゃんは誰かに裁かれたいのです。ここあちゃんに暴力を振るう自分が大嫌いで、それ故に自分を裁こうともしない世の中を嘆いているのです。
正常などこの世に無いという言葉は、狂ったリゼちゃんの世の中に対する最大の皮肉な言葉と言えるでしょう。
ここあちゃんのリゼちゃんに対する憐憫は、『リゼちゃんが作ったしまった』ものでもなく、『洗脳』したものでもありません。
むしろ、ここがリゼちゃんを狂わせてしまった元凶と言えます。
これはリゼちゃんに対するここあちゃんの「優しさ」なのです。つまり、この優しさはここあちゃん自身の性格によるものです。
リゼちゃんを治してあげるには、助けてあげるには、リゼちゃんのことを誰かが裁く=拒絶すれば良かったのです。
しかし、ここあちゃんはリゼちゃんを庇い、受け入れてしまった。
リゼちゃんの自責に対するここあちゃんの寛容は、全てここあちゃん本人の意思によるものです。
最後のシーンは、リゼちゃんが自身に対する自責の念を放棄したことを表すセリフです。
ここあちゃんの優しさに、リゼちゃんはついに崩れてしまったのです。
自分に貼っていた狂気のレッテルを剥がしたのでしょう。
本作はリゼちゃんが社会ルールの逃げ道を探す物語ではなく、反対に、リゼちゃんが裁きを欲する物語と言えるかもしれません。
矛盾した社会の成り立ちを知ったリゼちゃんは、その現実と向き合っていたのでしょう。
千夜ちゃんの冒頭の台詞は、リゼちゃんの耐え難い絶望と苦悩を表しています。
上記のカタルシスが、わたしの描く狂気でございます。
申し訳ありません、解釈があまりに斜め上の領域ゆえにご理解を得られないかもしれませんが。
これは、『純愛』がテーマなのです。
(狂気日記まで読んで頂き、本当にありがとうございます。精神的嫌悪にくれぐれもご注意ください)
私の拙い全力投球をしっかり受け止めてくださってありがとうございました。丁寧な解説でわかりやすかったです!
次から砂水クジラ先生と呼んでもいいでしょうか?
もちろんです、呼称はお好きなようになさってください。
(先生呼びされるような器の作家ではありませんが;)