ごちうさSS ここあ「リゼちゃんの狂気日記」追憶ノ三 END

 

 

 

……。

…………。

………………。

 

 

――――――――――――――――――

 

『〇』

 

快晴の中、かりそめの目的地に向かい歩みを進める。

幼馴染の情報によると、甘兎庵から徒歩で約20分。確かであればあともう少しで見えてくるはずだ。

 

「あっ!しゃろちゃん、あれ!」

 

傍らでわたしの手を握っていた少女が、忽然と駆け出す。

人為的に形成された石畳みの歩道に歩みを進ませること18分、喧噪に包まれた景色が視界に飛び込んできたところでホッと胸をなで下ろす。

情報との誤差2分、どうやら出まかせでは無かったようだ。

 

「ここあ、先に行っちゃダメよ」

 

やんわりとたしなめると、戻ってきた少女の小さな手が再び繋がれる。

土曜日の真昼間、恐らく中も休暇を楽しむ人たちで雑踏しているに違いない。はぐれないようにしないと。

 

「欲しいもの、見つかるといいわね」

 

「うん!」

 

なんでもここのデパートは日用品や雑賀はおろか、有名なブティックや洋菓子、老若男女が求めるもの全てを一つの建物内に結集しているらしい。

この子がお気に召すものも当然備わっていることだろう。

 

片手でポーチを開け、財布の中身を再度確認する。

チノちゃん、千夜、リゼ先輩宅の使用人さん、みんなで出し合った『ここあとお出かけ用』の資金。

ピン札と呼ばれる美しい万札が5枚と、真ん中折れの皺が付いた5000円や1000円札が十数枚入っている。

金銭面は全く心配は無い。むしろこれほどの大金を財布で持ち歩いたことが無いせいか、妙な緊張感と不安に駆られてしまう。

 

「………………」

 

チラリとここあの方を見やる。

良かった……どうやら今は心から目の前の期待に胸を弾ませてくれているようだ。

いつもの寂しそうに影を差した笑顔は、まだ見受けられない。

 

この子は天真爛漫でありながら、相手を不快にさせないようにするという気遣いに関しては、下手な大人以上のきらいを見せる。

それを察せるものからすれば、あの悲しい笑顔を見るのは心臓を鷲掴みにされたように痛く、辛いものだった。

 

静寂はどうしても人に考える猶予を与えてしまう、人のごった返すこの場所をあえて選んだのは、千夜なりの気遣いだったのだろうか。自意識過剰かもしれないが、ここあではなく主にわたしへの。

 

「さて、行きましょうか」

 

処世術で培った笑顔を繕い、ここあを促す。

リゼ先輩と離れ離れになって以来、健気にカラ元気を装うここあのためにと毎週休日に交代で催すことになったおでかけ。今週はわたしの番だ。

 

無論『義務』や『面倒』などという気持ちは微塵もない、ここあと二人きりで時間を共有する役得は本来の目的を加味しても何物にも代えがたい喜びがある。

 

 

変わらない、日常。

 

 

元に戻りつつある、幸せな時間。

 

 

しかし、完全に元通りになることは無いだろう。

 

……リゼ先輩。

 

あなただけが、いない。

 

ただ、あなただけが。

 

「………………」

 

今日もまた、心の中で祈る。

 

昨日と同じく、たった2つの願い事を。

 

 

少しでも――ここあが元気になりますように。

 

 

リゼ先輩――早く帰ってきてください。

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

――

――――

――――――

 

 

『●』

 

 

…………。

 

 

…………?

 

 

……もう、朝か。

 

 

…………。

 

 

……一日が、始まる。

 

 

リゼ「…………」

 

 

意地の悪い睡魔に抗えなかった己自身にまた傷の一つでも付けてやりたい衝動に駆られたが、ここあのためにもこみ上げる悔恨をグッとこらえた。

 

もはや地獄となった日常、唯一の加護領域であるベッドから重い腰を上げる。

……いや、違う。

加護領域は、ここあの側。この子がいないのであれば、ベッドで横になるなど『生きていく上での苦痛の義務』の一つに過ぎない。

無神世界に提供されたわたしの安寧は、その名の通り世界にたった一つで、ほんのわずかしかないのだ。

 

しかし、この世の義務というのは、その救済に易々と縋りつくことすらも許さない。

学校、仕事、世間体……人間に纏わりつく責務などというやつは、どこまでわたしを苦しめるつもりなのだろう。

 

ここあ「んっ……?」

 

絶え間ない数々の仕打ち。本来ならば、もうこんな世界にとっくに未練などない。

味覚、視覚、感覚……知覚が徐々に狂いつつある今、もはやわたしには何も残されていないのだ。

 

 

――ただ、この子を除いて。

 

 

リゼ「ここあ……おはよう」

 

ここあ「おはよう……ふぁぁ……」

 

リゼ「顔を洗おうか。……よっと」

 

返答を聞かずして、おもむろにここあを抱き上げる。

 

リゼ「んっ……」

 

温かい体温。芳しい少女の香り。

わたしが人間でいられる、唯一の時間。

生きていることを疑いなく生きていると認識できる、至福の瞬間。

何物にも代えがたい、天使の翼と肢体に優しく包まれているかのような、安らぎの時。

 

わたしは、このために生きている。

 

生きている意味など、他に要らない。

必要とし、必要とされる……どちらが欠けても崩れてしまう危うい均等の中、互いの存在に安堵し、喜悦し、縋りひたすら求めあう。それが今のわたしの幸福。

 

ここあ「りぜちゃん……」スリスリ

 

共依存……だっけか。どこかで聞いたことがある。

ただ、わたしの場合は少し違う。

 

悲しいかな、きっとわたしとここあでは、ベクトルが違うのだ。

 

 

ここあ「きょうも、がんばろうね……?」

 

 

もう、義務なんてどうでもいいのに。

わたしにはお前さえいれば。

 

 

 

ここあ……。

 

 

 

お前は、まだわたしを、人間でいさせてくれるんだな。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

――

――――

――――――

 

 

――お昼――

 

 

??「リゼ?」

 

メイドの作った弁当を無心に口に運んでいると、聞き慣れた声に思わず手を止める。

気の抜けたような話し方と少し垂れた目が特徴的な、なんともつかみどころのない印象を受けるわたしの幼馴染。吹き矢部部長、ユラ。

仲が良いのは確かだが、学校では特別これといった絡みは無いので思わず言葉に窮する。

 

彼女の両手には購買で購入したであろう人気で予約必須のチーズサンドと比較的安価なハニートーストが抱えられていた。わざわざここに来たことからして相手の目的を確信しつつも、一応体裁として聞いてみる。

 

リゼ「どうしたんだ?」

 

ユラ「はぶられてさぁ、かくまってもらっていい?」

 

いつものおどけたポーカーフェイスでユーモアのある返し、彼女は今日も平常運転らしい。

言及するまでも無いが、つまりここで昼食を一緒に食べてもいいかということだ。

 

リゼ「……ああ」

 

正直あまり乗り気ではなかったが、事実上わたしには一択しかない。

 

ユラ「ありがとう、持つべきものは幼馴染だね~」

 

相も変わらず表情は変わらぬが、嬉々とした様子でわたしの机にパンを散乱させる。

この調子である、これだから彼女は厄介なのだ。

 

はぶられた、などというのは間違いなく嘘だろう。

そもそもはぶられた人間は、捨てられた子犬のような目をして知り得る近しい知り合いに頼るという不文律のテンプレートが存在する。

 

わたしの自意識過剰でも無ければ、ハナからわたしと昼食を共にするためにここに足を運んだに違いない。

 

ユラ「ここのハニトーさ、割りといけるんだよ~」

 

わたしの席の前にあるクラスメイトの椅子には腰を掛けようともせず、立ったまま隣でハニートーストの袋を破るユラ。

 

席の主が内気な子だった場合、仮に用があっても、席に居座った自分に声をかけられずに困ってしまうのではないかという可能性を考慮した上での配慮だろう。

 

こういうところは、昔から何も変わっていない。千夜にも通ずる遠回しな、それでいて優しいさりげない気遣い。

 

ユラ「……リゼさぁ」

 

数十秒ほど無言を貫いていたユラだったが、わたし様子を観察して確信を得たのか、本題である『わたしに会いに来た理由』を口開く。

 

ユラ「最近、元気ないよね。なにかあった?」

 

リゼ「……いや」

 

ユラ「じゃあ、久々に吹き矢部に来ない?」

 

リゼ「………………」

 

自分で発した言葉の矛盾に、つい返すべきあいまいな返答を失ってしまう。

無理もない、部活の助っ人などこの3週間全て断っている。周りの人間からすれば何もないという方が強引だろう。

 

ユラ「……ごめん、冗談」

 

追及されると思ったのも束の間、彼女はゆっくりと息を漏らして自ら要望を早くも放棄した。

これ以上は無駄だと諦観にも近い感情で折れたのか、もしくはわたしの気持ちを汲んでくれたのか。いずれにせよユラは人の心の核心に触れながら、踏みとどまる線引きを弁えているのは確かなようだ。

 

ユラ「リゼの後輩のあの子にさぁ、わたし無き後の吹き矢部を任せたいんだけど、リゼからも頼んでくれない?」

 

それからチャイムのけたたましい音が鳴り響くまで、ユラが先ほどの話を掘り起こしてくることは無かった。

結局終始たわいもない会話を何度か交えただけだったが、一応彼女なりの目的は達したらしく、ご満悦で教室を去って行った。

 

今日は彼女のおかげで、生きるために味の分かりもしないものを飲み込む行為のストレスが和らいだことだけが幸いだ。

 

 

ハニートースト……か。

 

 

――どんな味だったっけ。

 

 

――

――――

――――――

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

――翌日 朝――

 

朝から耳に雑音が鳴り響く、不協和音も甚だしい。原因は不明。

 

不快極まりなかったが、ここあの前では何とか平静を装うことが出来た。

余計な心配をかけて、またあいつの笑顔を曇らせたくない。

 

そう……なんてことないさ。

わたしには、ここあがいるのだから。

 

 

リゼ「……………………」

 

そろそろ出発の時間だ。

どうせ極寒はおろか自分の体温さえ感じられないのだ、最低限周りから不思議に思われない程度の身なりをしていれば問題ない。風邪など引くことが出来たらわたしとしてはこの上ないほどの役得だが、ここあが悲しむので故意にはしない。

 

二人きりでの朝食を終え、学校に出かける前の恒例のハグの時間。

のはずだが、ここあの姿が無い。

この機を逃してしまうと、今日の午後6時頃まで『人の温もり』とはおさらばになってしまう。

玄関に向かう際に辺りを探してみたが、結局ここあとは会えないまま地獄への入り口に辿り着いてしまった。

 

はからずもいつものように、扉の前で深いため息が出る。

これから起こる受難に憂鬱とした気分になっているのはもちろんだが、実のところそれよりもここあとハグできなかったことの方が神経を憔悴させている。

 

……今日はもういい、外とのどうでもいい関わりなど適当に終わらせて早く帰ってこよう。

 

失意の底にあるほんの僅かな気持ちを叱咤激励し、重い歩を進ませる。

門扉を開くと、動いている何かが視界の両隅に入った気がするが気にも留めない。

どうせ使用人たちだろうが、ここあ以外の存在になどもはや価値も無ければ興味もない。

 

関与なく通り過ぎるつもりが、今日はなぜかわたしに向かってなにかをしきりに喚いている。

後ろから肩を掴まれたところで、堪忍袋の緒が切れた。

 

リゼ「さわるなっ!!」

 

感情のまま一喝すると、おずおずと手が離れる。

今日はただでさえなにやら耳鳴りがひどいのだ、これ以上わたしの気持ちを逆撫でする気なら誰であろうと容赦しない。

 

憤りをなんとか消沈させ、河川に跨る石橋を渡って目的地の学校を目指す。

気のせいだろうか、道行く度にすれ違う人が訝しげにこちらを見ている気がする。

 

……自分の顔が酷い有り様になっているのは鏡を見なくとも察しが付く、あまり気にせずともいいだろう。

 

 

……学校、か。

 

 

どうしてわたしは、学校なんかに向かっているんだ。

 

 

なんのために?

 

 

ここあがいない場所に、わたしの存在理由などないのに。

 

 

……わたしは、何をしているんだ。

 

 

「――ぜちゃん!」

 

 

色彩の無い狂った世界に、突如として耳に響いた天使の声。

反射的に、振り返ると。

 

ここあ「りぜちゃん!まって!」

 

天使が――ここあが、泣いていた。

 

リゼ「ここあ……?」

 

ここあ「りぜちゃん、これ――」

 

リゼ「ここあっ!」

 

ここあ「!」

 

抱き寄せる―ー飛び掛かると言ったほうが正しいかったのかもしれない。

内側から滲み出てきた怒りにも悲しみにも等しい強烈な感情は、もはや制御することがかなわなかった。

ここあの華奢な身体がいつにもまして震えている。冷たくなっている。頬を絶え間なく伝う確かな雫。

……分からない。わたしと朝食を食べて離れた以降、いったいどんな経緯があったというのだ。

 

リゼ「どうしたんだ!どうして泣いてるんだ!?」

 

ここあ「っ……!?」

 

唐突な叫びに面食らったここあが、呆然とわたしを見つめている。

構いもせずに言葉を続けようとしたが、その瞳の色から幾分の悲哀を感じ取った時。

 

わたしは――ようやくその意味に、気が付いた。

 

リゼ「……それ」

 

ここあが手に携えていたのは、淡いパープル模様1色で彩られた、わたしの傘。

ずっと以前に、ここあが選んでくれて購入した、わたしの大切な思い出のひとつ。

 

ここあ「りぜちゃん……」

 

 

 

ここあ「きょうは――『あめ』だよ……?」

 

 

………………。

…………。

……。

 

 

……そうか。

今朝からの耳鳴りも、使用人たちの不躾な態度も、すれ違う人間たちの挙動も。

 

看過できない疑問の答えは、これだったのか。

ここあは、泣いていたんじゃなかった……雨に濡れていただけ。

 

 

異常なのは――わたしの方だった。

 

 

……………………。

 

 

空を、見上げる。

曇っているのだろう。

黒色だけで、何も分からない。

 

 

頭を触ってみる。

びしょ濡れなのだろう。

冷たいのかさえ、分からない。

 

 

頬を手でなぞってみる。

泣いているのだろうか、それとも雨の雫だろうか。

分からない。

 

 

笑顔を繕ってみる。

ここあが、不安げにこちらを見つめている。

どうしてあげたらいい、分からない。

 

 

目の前にいる、ここあを抱きしめる。

天使なのだろうか、人間なのだろうか。

人間ですらないわたしには、分からない、

 

 

濡れている身体を寄せ合う。

冷たいのだろうか、温かいのだろうか。

温かい、わたしは、とても。

 

 

リゼ「ここあ……帰ろう」

 

ここあ「え……」

 

リゼ「風邪ひくぞ、帰ったらお風呂に入ろう」

 

ここあ「でも、がっこう……」

 

リゼ「帰ろう」

 

ここあ「…………うん」

 

 

降りしきる雨の中、ここあを抱き上げ、ついさっきまで歩いてきた家路を辿る。

どうして、この子を独りぼっちにさせてしまったんだ。側にいてあげれば、こんなことにはならなかったのに。

そもそも、学校になんて行かなければ。

 

 

……………………。

――学校は、義務だから。

 

 

ここあより大切な義務って、なんだ?

生きることよりも大切な義務?

生きるための、義務?

違う。

義務のために、生きる。

義務のために、苦しむ。

義務のために……。

 

 

誰を責めたらいい、何を責めたらいい。

わたしを責めれば、ここあが悲しむ。

それなら、やっぱり外の世界がいけないんだ。

 

 

……帰ろう。わたしがわたしでいられる場所に。

安寧の地に。

ここあと二人だけの、幸福な場所に。

 

 

雨は止まない。

止む気配もない。

わたしを濡らし、存在を拒む。

 

ここあが、強く抱きついてくる。

泣いている?分からない。

でも、これだけは分かる。

わたしを受け入れてくれるのは、やっぱりお前だけだ。

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

――

――――

――――――

 

 

『〇』

 

 

「しゃろちゃん、みて!」

 

胸に抱きかかえたヘンテコなぬいぐるみを差し出してくる。うさぎだろうか、見ようによってはきつねに見えないことも無い。

 

「可愛いわね、これにする?」

 

わたしの問いに首を横に振ると、またぬいぐるみコーナーへと駆けて行ってしまった。また違うぬいぐるみを棚から引き出しては満開の笑顔を咲かせている。

密かにこちら側の財布事情を気にしているのだろうか、あの子なら十分にあり得る。

 

しかし千夜やチノちゃんの報告を聞くところによると、わたしに限らずショッピングに来た時はいつもこの調子らしい。執拗に何かを欲しがったことは一度も無いそうだ。

この年頃には遠慮などと言った気遣いとは無縁のはずなのだが。

 

当初はわたしもリゼ先輩の教育の賜物かと推測したが、以前にリゼ先輩が全く同じことで悩んでいたことを思い出し、己の推理が的外れであることを早くも思い知る。

 

誰に教わることも無く、これは自然なあの子自身の性格なのだろう。

 

モカさんが溺愛したのも頷ける、リゼ先輩が天使と妄信してしまったのも、無理は無いかもしれない。

子供らしからぬ一面を持ちながらも、子供らしい可愛さもちゃんと持っている。

リゼ先輩の猫可愛がりは責める方が酷だったと言うものか。

 

適当にぶらついているとあっと言う間に11時過ぎ、そろそろお昼時だ。

昼食のため一旦フードコートに向かうとしよう。

 

「ここあ、お昼ごはんにしましょう」

 

「うん!」

 

腰元辺りに勢いよく飛び込んできたここあの頭を撫でる。上目遣いにこちらを見上げている姿が可愛い、自然と顔がほころぶ。

 

「何か食べたいものある?」ナデナデ

 

「えっとね、ぱんのはんばーぐ!」

 

「パンのハンバーグ……ハンバーガー?」

 

ポテトフライとジュースも付いていたとのこと。

間違いなく正解のようだ。

先週チノちゃんとお出かけした時一緒に食べたらしい。ジャンクフードは百害あって一利なしだが、1週間に1回健康を損なわない程度なら構わないだろう。

なにより、この笑顔を無下にすることはわたしには到底不可能だ。

そう考えると、好き嫌いを注意したりマナーを厳しく躾けていた辺りリゼ先輩はやはりさすがと言わざる負えない。

 

ここあに気付かれないよう、ゆっくり大きく深呼吸。

今はただこの子の笑顔のために、自分にやれることをやる。

 

小さな手を握り、ここあの望む小さな幸せへと向かう。

きっと少しの間……ほんの少しだけでも、また笑顔になってくれるだろう。

 

この手を握るのは、きっと本来わたしの役目ではない。

このポジションは、埋めることはできない。

 

――だから。

埋め合わせるのではなく、繋いでおきます。

 

リゼ先輩が、繋ぎ直せるように。

代わりではなく、この子とあなたの、友人として。

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

『●』

 

 

歪んだ世界の中、ただずっと、ひたすらここあを見つめる。

 

わたしは生きている。

わたしに分かるのは、ただそれだけ。

 

あとは、ここあが教えてくれる。

 

わたしは生きている――生かされている。

ここあのために――ここあによって。

 

 

ここあ「んっ……?」クシクシ

 

リゼ「おはよう」

 

ここあ「りぜちゃん……?はやおきだね」

 

リゼ「ああ、寝てないからな」

 

ここあ「え……」

 

表情が見る見るうちに曇っていく。

わたしはまた何か地雷を踏んでしまったのだろうか。

 

ここあ「……ねむれなかった?」

 

リゼ「いや、寝たらすぐ離れ離れになるじゃないか。わたしはここあと一秒でも長くいたい」

 

おかげで今日はいつもよりも幾分気持ちが楽だ。

9時間以上ここあを抱きしめていたおかげか、身体も温かい。

 

ここあ「……そっか」

 

透き通った笑顔で微笑むと、おもむろにわたしの背中へと手を回し、強く抱き付いてくる。

まるで不幸な犬猫を慈愛の手で包み込む、慈悲の天使であるかのように。

 

どうして、わたしを哀れんでいるんだ?

わたしは、こんなに幸せなのに。

 

ここあ「ゆめのなかでもずっと、いっしょにいてあげられたらいいのにね……」

 

ここあ「りぜちゃん……ごめんね……」

 

リゼ「ここあのせいじゃないぞ。それに、今さら現実も夢も変わりない」

 

むしろ、お前以外のこの『現実』は。

もはや、悪夢と等価だ。

わたしにとっての現実は、あと30分……。

お前と離れ離れになるまでの、あとわずかな時間だけなのだから。

 

 

……………………。

ここあ……。

わたしがいない間に、どこかに行ったりしないよな。

 

……しないよな。

 

お前は、天使だから。

わたしを見捨てたりしない。

 

お前は、人間だから。

翼なんて、ない。

 

ここあは、天使だから。

ただ、翼を持たないだけで。

 

ここあは、人間だから。

翼があっても、飛べない。

 

ここあは、人――――使だから……。

●×※□&%……。

 

飛べないんだ。

わたしの側にいる。

どこにも行かない。

 

矛盾している?どうでもいい。

世の中が矛盾に満ちているのは今に始まったことじゃない。

 

 

さて、今日も頑張ろう。

正常でいるために?人間でいるために?

違う、ここあのために。

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

ここあ「りぜちゃん……だいじょうぶ?」

 

リゼ「ああ、行ってくる」

 

本心を言えば今にでも縋りつきたいが、余計ここあの不安を煽るような気がしてグッと堪えた。

柔らかい頬に軽くキスを残し、挨拶を交わしてここあの元を一歩、また一歩と離れる。

 

決して振り返らない。一度振り返ってしまえば、勝手に足が戻ってしまう。

わたしは正常なんだ、正常でいなければいけない。

 

行こう……。

学校に、行かなければ。

 

 

 

リゼ「……………………」

 

 

天気快晴なれど我が心曇天なり、か。

いや、快晴かどうかすらも怪しい。

 

見えているものが正しいかなんて、誰にも証明する術は無いのだから。

目に映るもの――現実というカタチは、ただ、大多数の見解で成り立っているというだけで。

 

人はそれを何の疑いもなく、鵜呑みにするしかないのだ。

それが、まともに生きる唯一無二の方法だから。

 

……今日は晴れているのだろうか。本当に晴れているのだろうか。

雨だったら、またここあに会えるのに。

 

泣いたら、雨になる?

……ならないだろうな、雨になるのはわたしの世界だけ。

 

わたしには、自分を信じる勇気が無い。

だから自分を蔑んで、安寧を得るしかない。

そうやって自分を許してあげるしかない。自信のない自分を。

いいじゃないか、自意識過剰で傲慢な人間よりは遥かに良い。

 

……その卑屈さが――本当は、何よりの傲慢なんだろう。

 

………………。

…………。

……。

 

ここあは、卑屈で傲慢なわたしが、好きなのか。

それとも、根拠のない自信を振りかざす、傲慢なわたしが好きなのか。

あいつにとって、一番良いわたしでありたい。

でも、分からない。

 

……愛情が、一方的なものでいいなら。

 

思い込みでも妄想でも。相手を愛し、相手に愛されている。

そう確信が持てるなら、こんなに悩まなくてもいいのに。

 

一方的な愛情……感情、言葉ほど、居心地の良いものは他に無いのだから。

 

相手がいなくても、自己満足で完結できる。

 

でも、それには相手が必要。

 

矛盾している、これもまた。

 

 

……天使なら、答えを知っているだろうか。

帰ったら聞いてみよう。

きっと答えを教えてくれる。

 

 

近道の公園を抜け、噴水が設けられた広場を通る。

ここまで来ればあと5分もかからない、今日は間に合いそうだ。

 

……………………。

 

大きな時計台がまだ猶予があることを教えてくれたので、ここあが好きなイチゴのケーキを買うためにスイーツ店にでも行くとしよう。

確かオープンは9時半だったか。ゆっくり歩けば良い時間になるだろう。

 

カバンが、重い。

置いて来ればよかったな。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

『〇』

 

 

――甘兎庵――

 

 

「ちやちゃん、ただいま!」

 

「あらここあちゃん、おかえりなさい」

 

戸が開くや、店内に響き渡る明るくて大きな一声。

駆け寄ってくると、わたしの腰にギュッと両手が回された。小さい身体を抱き上げいつものように頬ずりをすると、少女は照れたような笑みを浮かべる。

 

「ただいま」

 

「シャロちゃん、おかえりなさい」

 

続くように帰宅した幼馴染から、『上手くいった』のハンドシグナルを受け取る。

肩にかけたポーチ以外に、左手に新しい荷物がぶら下がっていた。

この子の欲しいものが、ようやく見つかったようだ。

 

「ここあちゃん。お出かけ、楽しかった?」

 

「うん!おひるに『はんばーがー』たべたよ!あとね――」

 

今日の出来事を嬉々として話す少女。聞いているこちらまで思わず笑顔になる。

本題に移るはずだったがタイミングをしばらく失い、踏み込むまでに5分程度の時間を有した。

 

「そう、たくさん遊んだのね」

 

後頭部を優しく撫でると、気持ちよさそうに目を閉じている。

幼馴染の方を一瞥し、自然を装い核心に触れてみた。

 

「シャロちゃんに、何か買ってもらったの?」

 

「――これよ」

 

その問いに答えたのは、少女ではなく隣で沈黙を貫いていた幼馴染だった。

袋から取り出されたのは、何の変哲もない極めて普通の白いうさぎのぬいぐるみ。

特別な何かを期待していただけに、つい言葉に窮してしまう。

 

「……ぬいぐるみ?」

 

「ううん、メッセージドール」

 

「……!」

 

少女がなぜこれを欲しがったのか。幼馴染の複雑な表情。上手くいったという報告の、本当の意味。

全ての理解は、その一言で済んだ。

 

「……ちやちゃん?」

 

呼ばれて、再び腕の中にいる少女と目を合わす。

不安を宿したバイオレットカラーの瞳が、輝きを潜めてこちらを覗いていた。

 

隣にいる幼馴染も、きっとこの子と同じ答えを、わたしに望んでいるのだろう。

本来ならばいち早く、その答えをこの子に与え、安心させたかったのだろう。

だが、彼女の独断では決められず、結局わたしにその決断を委ねたと言ったところか。

 

もちろん、考えるまでもない。

少女の瞳をしっかりと見据え、答えを口にする。

 

「みんなで描いて、今夜持って行ってもらいましょう」ニコッ

 

「……!」

 

ツンケンで笑顔を滅多に見せてくれない、大切な幼馴染と。

明るい笑顔がとても良く似合う、親友の少女。

たちまち満開に咲く、二つの笑顔。

これを見られただけでも、わたしの決断は間違っていなかったと確信が持てる。

 

「よかったわね、ここあ!」ナデナデ

 

「うん!」ニコッ

 

「……………………」

 

メッセージ、なんて書こうかしら。

 

この温かい気持ちが……みんなの想いが。

 

 

――リゼちゃんに、届きますように。

 

 

――――――――――――――――――――――――――

『●』

 

 

門扉の前に、また黒い奴らが群がっている。

 

わたしに気付いた途端、まるで動物園で珍しい生物を見たかのように、こちらを訝し気に見つめている。ある者は隣の黒色と互いに顔を見合わせている。

何か言いたげな、それでいて言い淀むようなその態度に、またわたしの中の憤りが目下青天井に上昇する。

 

いったい何が言いたいんだ。何かあるならはっきり言え。

まるでわたしが狂っているような、正常でないものを見るようなその態度が気に食わない。

天使の言葉を否定するつもりなら、わたしがお前らの存在を否定してやる。

 

無視して通り過ぎようとすると、一人の黒色が何かをわたしに向かって小さく呟いた。

……何を言ったのだろう。

いや、何かは何かのままでいい。

わたしには関係ない。

例えば石につまずいたとして、その石はわたしの今後の人生に影響があるだろうか。

転んで大怪我でもしない限り、それは5秒もせぬうちに記憶から抹消される程度の存在なのだ。

わたしに関わっておきながらも、全く影響のない存在。あの黒色たちは、言わば石。

違う、あいつらだけじゃない。天使以外の全てが、石。

色彩のない、言葉を発するだけの何か。

 

天使は違う。天使は、違う。

希望的観測?違う、違う、違う。

必然なんだ、これは。

 

天使が、わたしの全てなのは。

太陽が輝いているくらいの常識、当たり前なこと。

……天使?

 

わたしの大切な家族とは違うナニカ?

わたしの大切な親友とは違うナニカ?

人間であり、幼い姿をした大好きなあの子とは違うナニカ?

 

……一緒だ、どっちも。

今さら変わりはない。

 

待っていろ、すぐにお前の大好きなイチゴのケーキを持っていくから。

笑顔になってくれ、笑ってくれ。わたしを必要としてくれ。

お前に求められることだけが、今のわたしの全てだ。

 

扉を開く。

 

扉にぶつかる。

 

扉を開く。

 

何かにぶつかる。

 

何かを蹴飛ばす。

 

良かった、開いた。

 

悪意を持ってわたしの邪魔をしようとしたそれが悪い、自業自得だ。

 

あと少し、あと少しだ。

 

わたしの加護領域まで、あともう少し。

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

リゼ「ただいま」ガチャッ

 

ここあ「……!」

 

いた……天使だ。

知覚が癒されていく。

――わたしは、生きている。

 

リゼ「天使、遅くなったな」

 

ここあ「りぜちゃん……?」

 

リゼ「ほら、お前の好きなショートケーキだぞ」ニコッ

 

ここあ「てんし……?」

 

リゼ「チーズケーキもチョコケーキも買ってきてある、全部食べていいからな」

 

ここあ「………………」

 

リゼ「……?」

 

どうしたんだ……?浮かない表情なんてして?

喜んでくれると思って、せっかく朝から買ってきたのに。

 

リゼ「天使?」

 

ここあ「りぜちゃん……あのね」

 

天使の小さい手が、穢れ切ったわたしの手を優しく包む。

温かい……これが、天使の手。人間とは違う。

 

 

ここあ「がっこうは……?」

 

 

リゼ「学校?……ああ、そうだったな」

 

すっかり失念していた。そんなどうでもいいこと。

故意では無いにせよ、少しの悔恨くらいはある。

 

リゼ「お前の喜ぶ顔が見たくてな、ごめん……明日はちゃんと行くよ」

 

リゼ「だから、今日はずっと一緒にいよう」

 

リゼ「一緒にいてくれ」ニコッ

 

ここあ「………………」

 

リゼ「天使?」

 

ここあ「……りぜちゃん……ちいさくなって?」

 

リゼ「んっ、こうか?」

 

――おもむろに。

天使の慈悲の手が――わたしの首元に回される。

 

ここあ「ごめんね……」ギュッ

 

リゼ「……?」

 

ここあ「わたしが、ついていってあげればよかったね……」

 

リゼ「ケーキを買いに行くくらい一人でも大丈夫だぞ?どうしたんだ急に」

 

ここあ「ううん……なんでもない」グスッ

 

ここあ「ありがとう……りぜちゃん……」ジワッ

 

ここあ「やっぱりりぜちゃんは、やさしいままだよ……」ポロポロ

 

天使が――泣いている。

どうして?分からない。

 

わたしは笑う、さめざめと。

わたしは泣く、しめじめと。

分からないから、笑う。分からないから、泣く。

 

 

リゼ「天使、泣かないでくれ……」ナデナデ

 

ここあ「りぜちゃん……」グスッ

 

リゼ「ん……?」

 

ここあ「いっしょに、おえかきしよ……」

 

リゼ「……ああ」スッ

 

立ち上がり、本棚からスケッチブックを引っ張り出す。

 

ここあの大切なお絵描き帳。

 

わたしの大好きな、ここあの。

 

これはここあの描いたものだ、何の不思議もない。違和感もない。

 

ここあが、一生懸命描いたものだ。

 

 

リゼ「今日は何を描こうか?」

 

ここあ「…………」

 

リゼ「ここあ――おいで」ニコッ

 

ここあ「……!」

 

――また、泣き出してしまった。

今日のここあは、いつも以上に泣き虫だ。

お前は、笑顔のほうが似合うのに。

 

ここあ「うん……わたしだよ……」ポロポロ

 

ここあ「りぜちゃん……っ」ギュッ

 

 

ここあが――泣いている。

どうして?分からない……。

 

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

――

――――

――――――

 

 

『〇』

 

 

……白昼夢?

 

――いや、現実だ。

 

「――ゼさん」

 

……呼んでいる。

 

「リゼさん」

 

かつてわたしが生きていた、現実から。

 

「……チノ?」

 

呼び声の主は安堵したように息を吐くと、先ほどよりも明るい声色で続けた。

 

「リゼさん、こんばんは。いま大丈夫ですか?」

 

「ああ」

 

「絵を――描いていたんだ」

 

「絵?……そうですか」

 

「………………」

 

「上手く描けましたか?」

 

「どうだろう……一人じゃあな……」

 

会話が途切れ、しばしの沈黙。

互いが互いに、言葉を続けて良いのかどうか。

隔たりを挟んでの……ここでのチノとの会話は、いつもこんな感じだ。

わたしにとっては、これが逆に心地よい。チノらしくて思わず微笑んでしまう。

向こうからは見えない、これくらいの役得は許されても良いだろう。

 

「――あの」

 

助け舟を出そうと思っていた矢先、先に静寂を壊したのは珍しくチノの方だった。

 

「リゼさん……これ」スッ

 

唯一向こう側の現実に触れることを許された、小さな隙間。

そこから差し出されたのは、その隙間にぴったりと挟まってしまいそうなほどの、綺麗な包装紙に包まれた何か。

 

「これは?」

 

「ここあさんからの、プレゼントです」

 

「……!」

 

「あと、わたしたちからの気持ちも……」

 

破れないよう丁寧に包装を解くと、中から出てきたのはカラーリングを施されたうさぎのぬいぐるみだった。

カラーペンで所々に描かれているのは、わたしに向けられた、大切な人たちの言葉。

 

「この黄色は、シャロだな、こっちの緑色で書かれたのは千夜か」

 

字の形はもちろん、書いている言葉にまでそれぞれ性格の特徴が出ている。

シャロは律儀に、千夜はクスリとくる温かい文章。チノは――いつも通り、まさしくチノだ。

 

「文章だと少し大胆だな、チノって」

 

「あ、後で読んでください//

 

「………………」

 

見当たらない……あの子の言葉が。

まだ文字は書けないだろうし、代わりに書いてもらったのか。

だとしたら、このぬいぐるみに書かれているいずれかの言葉があの子の?

 

わたしの疑問を察したのか、チノは取り繕うように、それでいて諭すようにゆっくりと口を開いた。

 

「赤いリボン」

 

「……首元にある、これか」

 

恐らく既成の代物では無いであろう、首元に巻かれた赤いリボン。

メッセージドールにはそぐわない原色の装飾品。

 

「内側に、ここあさんのメッセージが書いてあります」

 

「……あいつらしいな」

 

「………………」

 

「あとで読んでみるよ」

 

壁の隔たりの向こう側でも……顔を見なくとも、チノは気付いてしまったのだろう。

わたしが――笑っていることに。

わたしが――泣いていることに。

 

嬉し泣きや感涙とは違う、何か。

はかり得ることのできない、相反する同一の感情。

 

 

……………………。

 

 

メッセージドールなのに、体に書かないのも。

無地のぬいぐるみに、リボンを付けてあげるところも。

自分だけでなく、みんなの気持ちをプレゼントしてくれるところも。

 

 

――全部、ここあだ。

 

 

「……みんなに伝えておいてくれ」

 

「――ありがとう、って」

 

「……!」

 

「チノも――ありがとう」

 

 

言葉は、不器用だ。

 

これ以上のことを、伝えることが出来ないのだから。

 

 

抱きしめる――愛する――体を重ねる――暴力――支配――嗜虐――。

……………………。

――涙――言葉――気持ち。

 

 

いいんだ、これで。

 

特別なんて、いらない。

 

それ以上のことを証明する術が無いのなら。

 

信じてさえ、いれば。

 

愛情は――いっぽう的では、成立しないのだから。

独りよがりは、紛れもない自己愛だ。

 

 

 

「……リゼさん」

 

 

「やっぱりリゼさんは、優しいままですね」

 

紡がれたチノの言葉と共に。

かつて聞いたあの子の言葉が、聞こえたような気がした。

 

 

――

――――

――――――

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

『●』

 

………………。

ここあの描いた可愛いウサギに、黒色を塗る。

 

 

リゼ「こっちのは何色にするんだ?」

 

ここあ「そのこはね、きいろだよ」

 

リゼ「きいろ……これか?」

 

ここあ「ううん、こっち」スッ

 

リゼ「…………」

 

手渡された黒い色鉛筆で。

隣のウサギを、黒く塗りつぶす。

 

ここあ「りぜちゃんまって、みみはぴんくにするの」

 

黒い色鉛筆を持ったここあが。

耳だけを黒く塗りつぶしていく。

 

リゼ「目は何色にするんだ?」

 

ここあ「あおいろ!」

 

リゼ「これか?」スッ

 

ここあ「ううん……これだよ」

 

リゼ「………………」

 

黒い色鉛筆で。

ウサギの瞳を、黒く塗りつぶす。

 

ここあ「――できた!」

 

ここあ「りぜちゃん、みて!」

 

二羽のウサギが寄り添いあっている、ここあの絵。

黒一色で塗りつぶされたその絵は、わたしにはシルエットにしか見えない。

 

りぜ「ああ、上手く描けたな」ニコッ

 

ここあ「………………」

 

ここあ「……りぜちゃん」

 

リゼ「んっ……?」

 

ここあ「ごめんね……おえかき、たのしくない……?」

 

リゼ「そんなことないぞ、ここあとなら何だって楽しい」

 

お前と同じ時間を分かち合えるなら、それでいい。

笑顔で喜んでくれるのなら、何でもいい。

 

リゼ「わたしのほうこそ、ごめんな」ギュッ

 

ここあ「ん……」

 

小さい身体を抱き寄せ、柔らかい頬に口づけをする。

心配いらない……お前のぬくもりは、匂いは、色は、存在は、ちゃんと分かるのだから。

 

リゼ「…………」

 

ここあ「だいじょうぶ?りぜちゃん……?」

 

リゼ「ああ……」

 

ここあ「わたしのこと、みえてる……?」

 

リゼ「ここあの綺麗な目が見えてるぞ」

 

ここあ「りぜちゃんのほうがきれいだよ」

 

リゼ「そんなことない」

 

ここあ「ううん、りぜちゃんのやさしい目、すき……」

 

瞼をゆっくり撫でてくる温かい手が、心地よい。

 

ここあ「はやくなおるといいね」ナデナデ

 

リゼ「……そうだな」

 

リゼ「でも、本当は治らなくてもいいんだ」

 

 

リゼ「――お前以外、余計なものを見たくない」

 

 

ここあ「………………」

 

リゼ「せめてお絵描きくらいは、また一緒にしたいな」

 

ここあ「…………」グスッ

 

リゼ「……?ここあ?」

 

ここあ「りぜちゃん……っ」ギュッ

 

ここあ「だいじょうぶ……だいじょうぶだよ」ジワッ

 

ここあ「どんなふうになっても……わたしは……」ポロポロ

 

 

依存……。

依存を越えた、存在証明。

生きるための、微かな灯。

 

わたしの生と死を分け隔てているのは、もはや幸福や命などではない。

 

この黒い世界には、お前しかいない。

 

だから、お前が世界で、わたしの生きる意味。

 

ただ、それだけのこと。

 

ここあ……泣かないでくれ。

 

わたしを哀れむことなんて、何もないんだ。

 

こうしているだけで幸せなんだから。

 

……しあわせ、なんだ。

 

……しあわせ。

 

………………。

 

…………。

 

……。

 

 

――

――――

――――――

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

『〇』

 

 

――PM10:00――

 

チノからもらったウサギのぬいぐるみを、抱きしめる。

 

何か、懐かしい感じがした。

 

 

温かい……。

 

 

……………………。

 

あと、少し。

 

きっとあと、もう少しだ。

 

ここを出ることが出来たら、みんなになんて言おう。

 

まずは、お礼だな、あとは謝罪。

 

 

「………………」

 

 

解いたリボンの内側に拙い字で書かれていた、言葉。

 

 

お返しのつもりなのだろうか。

そう言えばあの時、ここあからは聞かなかったな。

 

 

相手への愛情を証明する――ただ、ひとつの言葉。

わたしは、これ以上のものを求めるあまり。

 

 

周りの大切ななにもかもを、傷つけてしまった。

 

 

――だから。

今度は、信じる。

 

 

これ以上のものは――想う気持ちで、伝えればいい。

 

 

力いっぱい抱きしめる、みんなからの愛情を。

ここあからの、愛情を。

 

 

「わたしも――愛してるぞ」

 

 

――あ・い・し・て・る。

ごちうさSS ヤンデレリゼとここあ 3話:『迷愛』

感想

  1. ラビットタンク より:

    いつもニヤニヤしながら読ませていただいております。今回が初コメントです。突然ですがもしよらしければリクエストお願いします。
    ・もしもココアとチノが入れ替わって、チノがココアの体に興奮したら
    ・もしもチノが某戦隊ヒーローに憧れてココアたちを巻き込もうとしたら……

    • 砂水クジラ 砂水クジラ より:

      ご愛読、誠にありがとうございます。
      お約束は出来かねますが、下のアイデアはぜひ参考にさせていただきたく思います。
      理不尽チノちゃん、ラビレンジャー結成!ですね。

  2. 名無し より:

    今まではここあのことを天使だと妄信していてもしっかり名前で呼んでいたのに遂に天使と呼び始めているところでゾワっとしました。また勝手な思い込みかもしれませんがヤンデレと狂気は違うんだぞということを訴えかけているようで面白かったです。このシリーズ全体を通して今まで少なかった砂水クジラさんの地の分を読むことができ、とても楽しかったので今後もたまにこういうのを書いてくれると嬉しいです。
    慣例なのかは分かりませんが上の方がリクエストをされているので2つほど書いておこうと思います。
    ・もし千夜ちゃんが生徒会長になっていたら
    ・ココアのクラスの委員長さんが登場する話
    これからも応援しています

    • 砂水クジラ 砂水クジラ より:

      あの恐怖のシーンにお気づき下さるなんて……執筆者として感激でございます。
      ヤンデレは分かりやすい描写を意識すればすぐにテーマが伝わりますが、狂気の場合はそうはいかないのです。
      なるべく表向きな描写に囚われないということを意識して執筆させて頂きました、少しでも狂気というテーマが伝わったのでしたらなによりです。
      小説家としましては、やはり細かい描写を描ける地の文は楽しいですね……また機会がありましたらぜひ、文章力を褒められますと作家冥利に尽きます。

      千夜ちゃんのIF物語はただいま構成が浮かびませんが、委員長さんが登場するのは少し閃きがきました。
      アイデアと構成が出来上がりましたら是非、ご感想ありがとうございます。

  3. 名有 より:

    執筆お疲れ様でした。(今更になりますが)
    私個人の考えではありますが、リゼちゃんも、幼少期はここあちゃんと同じくらい純粋だったとのではと思います(子供ならば当然だと思いますが。)優しく、愛を求めていくうちに、この狭いようで広大な、理不尽な世界に絶望した。そして遂には、たった1人の幼子を、この世界には存在しない天使などと思い込み、依存した。
    ここあちゃんはリゼちゃんにとっての救いであり、同時にそれ以外を受け付けなくさせる呪いのような存在になってしまった。
    それが、まだ何にも染まり切らない代わりに何かを背負えるほどの力を持たないただの子供であることも、その感情がここあちゃんにとってもどれほど重く寧ろ理解できなくなるものであることも忘れて。
    今までの苦しみに我慢し過ぎたのか、既にこの世界に絶望を抱いていたのか。だからこのような事になってしまったのでしょうか…?

    • 砂水クジラ 砂水クジラ より:

      これはわたしの見解となりますが。
      恐らく家族からたくさんの愛情を受けて育ってきたにもかかわらず、原作でもリゼちゃんはどことなく家族愛というものに飢えている節の描写が見られます。(家で一人で寂しそうにワイルドギースに話しかけるシーンなど)
      それはきっと、年の近い家族が一人もいなかったためだと思います。
      様々な邂逅から、そんなリゼちゃんの家族になってくれたここあちゃん。空いた心は満たされ、味わったことのない幸福感を噛みしめていたはずです。
      しかしその実、家族の心の繋がりと言うものをあまり良く分かっていないリゼちゃんは、ここあちゃんに対する愛情、信頼のかけ方を間違えてしまった。
      せっかく手に入れることが出来た家族の幸福、寂しがり屋な自分の側にいてくれる愛しいここあちゃんを失いたくない……嫌われたくない余り暴力や支配を確たる愛情と誤り、何もかもが見えなくなってしまった……。
      きっとリゼちゃんはただ、ここあちゃんを愛し、家族愛という幸福を失いたくなかっただけなのではないでしょうか。
      ここあちゃんが自分から離れてしまうかもしれないという妄想の強迫観念が、リゼちゃんをこのようなまでに狂わせてしまったのでは……と、わたしは思いました。(自分で描いていておかしな話ではありますが)

      名有りさんのおっしゃる、ここあちゃんは救いであり呪いの存在である、正にその通りだと思います。
      ここあちゃんはリゼちゃんにとっていわば愛憎の対象であり、それを理解できるはずもないここあちゃんに何もかもを一方的にぶつけ依存していました。
      ヤンデレリゼとここあシリーズの結末を見ても分かる通り、リゼちゃんが元に戻るための唯一無二の方法は、ここあちゃんがリゼちゃんの愛情を一度否定するというものです。
      周りが見えなくなり、誰の声も届かなくなったリゼちゃんの気持ちを動かせるのは、他の誰でもないここあちゃんだけなのですから。
      ここあちゃんが受け入れ、寛容するごとにリゼちゃんの狂気的な行動はエスカレートしてしまいます。
      愛情のかけ方も、ベクトルが違えば悪い方向にしか転じないということを如実に表していると言えるでしょう。

      非常に興味深いご感想ありがとうございます。
      これほどまで深く考察していただき、とても嬉しく思います。長文失礼いたしました。

  4. Beyond the Average より:

    これまでの雰囲気より少し明るくなって、読んでて少し安心しました。
    みんな元の生活に戻り始めましたが、リゼがいないからどこか寂しいです。やはりみんな揃ってこその毎日だと思いました。
    そして、ラストの後で語られる作品の解説は(↑上のコメント↑)私が気付かなかった背景が書いてあって、とても後味が良かったです!

    • 砂水クジラ 砂水クジラ より:

      雰囲気が明るく……?安心……?でしょうか?
      この追憶の三は、ある意味では一番狂気的かつ鬱な展開を意識しているのですが。(現実を把握できないリゼちゃん、徐々に壊れていく世界など)
      刃物的な展開や暴力描写が如実な分かりやすいヤンデレに比べると、わたしの作風は理解が難解かもしれませんね……。

      後味も良いわけではなく、この物語は決して救われることは無いかと思われます。
      ヤンデレリゼとここあの最終話でリゼちゃんが述べたように、一度狂気に踏み込んだ人間は、もう二度と現実を心から笑って生きることはできないのです。

      上記のように、わたしの本来の作風は読み手に理解の得られないことが多いのです。
      最後まで拝読いただき、ありがとうございました。

      • Beyond the Average より:

        えっ、えぇー!リゼは救われることはないんですか!もう二度と!?(今ごろ理解)
        追憶之二が重くて耐性ができたのかも…
        いえ、私の国語力がポンコツだとバレましたね。(ココアちゃんのように暗算や素数が得意なわけでもないのですが。)

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